90周年記念事業

歴史を刻んで90年、約3万5千人もの卒業生を世に送り出しました。
そしていま、本校は新たなステージに立っています。
教職員一体となり、感謝の心とともに、誠実に生き、努力する若人、グローバルに活躍できる人材を育てていきます。
-未来へ向けて-

90周年という節目の年を迎えるにあたり、
専修大学/専修大学附属高等学校 日髙義博理事長と根本欣哉校長にお話を伺いました。


タイトルをクリックすると内容が表示されます。

心を磨く「感性の教育」

2020年から始まる教育改革など、高等教育学校を取り巻く環境は日々変化していますが、その中で専修大学附属高等学校の使命・担うべき役割などはどのようにお考えでしょうか。また、これからの未来について望むことなどをお聞かせください。

【日髙】 専修大学の付属高校としての教育をこれまでしてきましたが、特に高大連携の実質化という点では、この10年で本当に深い所まで実現できたと感じています。高校での教育を大学でどのように繋げるかという接点が上手くまわっており、卒業生のほとんどが専修大学に進学しています。
 将来については日本の高等教育の動向に深く関連しますが、一つはグローバル化を迎え、大学の教育内容も大きく変わり、それとともに高校もその波に洗われています。グローバル化を図ると一口に言っても、欧米以外にも様々な国があり、どこに焦点を当てるかも問題です。幸い、本校には檀國大學校師範大學附属高等学校(韓国)との連携がありますし、生徒も専修大学の海外語学研修セミナーに参加しますので、グローバル化という点でもこの10年でかなり進化したと思います。また、これをより広げる可能性として、専修大学ではキャリアデザインを心がけており、大学1・2年の早いうちから将来どんな職業に就き、どういう仕事をするかという動機や、自己分析を行うことを実践しています。これを附属高校から連携することで、グローバル化への対応と自分の人生設計を高校時代から考えていくことができます。基礎的な知識を高校時代に身に付け、大学に入ってすぐに自分の得意な分野の勉強をしていくことができるシステムになっていますので、これをもっと強調していくべきだと思っています。

【根本】 私はここ1・2年、「C-GAIL(シーゲイル)構想」というものを打ち出しています。Cはいわゆるキャリアデザイン教育、Gはグローバル教育、Aはアクティブラーニング、IがICT活用教育、Lがローカル教育、つまり地域に貢献し共に繁栄していこうというものです。
あえて最初にCを打ち出しているのは、生徒一人ひとりのキャリアデザイン教育を基盤に置いて新しい教育に取り組んでいくべきだと思っているからです。
 学校教育は「知性・理性・感性」とよく言われますが、これまでの90年間の本校の教育のベースは理性、いわゆる道徳教育にありました。そして知性にも重きを置いて取り組んできたと振り返っております。「誠実・努力」という校訓は「理性」と「知性」を実践させましたので、これからは「感性」を磨いていきたいと思っています。色々な新教育が世間では言われていますが、今後一番大切なのは感性を育てることにあるのではないかと思っております。
 人間には6つの感性「六感」があると言われていますが、例えば味覚にしても夏でも甘いミカンが食べられる、冬でもスイカが食べられるといった有り難い時代にはなりましたが、季節のものを食べるという習慣は薄れてきています。また美しい月や星を観賞したり、花を見てきれいだと感じたり、といった感性が特に都会の学校の若者はどんどん退化してきているように感じます。
人間の持つ六感いわゆる「心覚」という心の感覚ですが、先に述べたようなそれ以外の5つの感覚が退化しているということになりますと、恐らく心も荒んでいる向きがあるのではないかという意味で、私がこれから本校の生徒に望むこと、本校の教育の主眼に置いていくべきものと言えば「感性を極める」ということだと思っております。

【日髙】 私は刑法の研究者で、理論的な解明をしなければなりません。その際、理論で解けない部分がどうしても出てきます。その時に何を頼りにするかと言うと、自分の直感と感性しかないんですね。花鳥風月を楽しむことの他に、物事の善し悪しを判断するのも感性です。これは理屈で解けませんが、人間と対した時に一番説得力がある部分なんです。知性は計れるかもしれませんが、感性の度合いは計れません。感性を何で磨くかをずっと考えてきましたが、感性を磨く教育ってなかなかないんです。日常的な教員と生徒の触れ合い、あるいは風景を見た時に感動するなど、勉学とは全く違う領域で育つものなんですね。その感性を育てた原風景がないと社会に出た時に勝負はできません。本校の生徒が社会に出てその先端で活躍するときに「こんなことで高校時代に先生に叱られたな、あんな風景を美しいって思ったな」といった思いが自分の中に蓄積されているような、本当の意味でのゆとり教育ですね。それができるのが附属高校であり、教育の原点だと思います。校長先生が仰ったように、それ抜きにしては生徒の将来性は「よくできました」で止まってしまう。社会に出れば周りもみんなできるわけですから、それから先の勝負になるんです。だから大切にしなければいけません。
 もう一つは倫理観・道徳観の問題ですが、これは道徳教育が今盛んに叫ばれていますね。言葉で教えることはできますが、自分の価値観としての倫理行動が確立しているかが最も重要で、言葉ではなく行動の中で教えていかないとなかなか浸透しないものです。本校の生徒は私が突然学校に立ち寄っても必ず挨拶してくれるのですが、やはり勉強だけではなく、こういったプラスの重要な部分を高校の教育の中でできれば、社会を変革できる人材になると思います。

今世間でも、道徳観の欠如した若者の問題がとりあげられることがありますが、そういった教育を受けていないと社会に出た時に行動ができないので、高校生活で学ぶことは本当に大切ですね。

【日髙】 道徳や倫理というものは、最終的に自分を縛るものであり、解き放つものではありません。自分で縛る行動を自分の中に持つというのは色々な修行をしなければできませんし、それを今は言葉で善し悪しを教えないといけない苦労があります。これは教職員の接し方の問題になりますが、やはり真摯に生きていれば、生徒の目は澄んでいますよね。つまりは教職員も人格を磨きなさい、ということになるのかもしれませんね。

100周年に向けて、立ち返るべき「原点」

100周年に向けて新たな取り組みや学校に求めることなどございますか。また、90周年という節目を迎えるにあたり、在校生、教職員、卒業生に向けてメッセージをお願いします。

【根本】 今、教育界が大きく改革されようとしています。教育は100年の計と言われますが、正直なところ、私のように古い教師は最近の動向についていくのが精一杯で、3年後・5年後の日本の教育がどうなっていくのかが余り見えてこないという現実があります。本来教育は100年単位で考えていくものですが、いよいよ本校も90周年を迎え、そして次には100周年を迎えます。つまり一つの教育のタームがやってくるのだと考えると、本校は「誠実・努力」そして「報恩奉仕」この二つの校訓の意味を、生徒達、全教職員が100周年に向けてもう一度学ばなければと思っています。よく理事長先生ともお話ししていますが、「専修大学の校歌も歌えるけど意味がわからない」という生徒や学生達が増えているように思えます。本校が創立された時の息吹を感じるためにも、校訓を改めて学び、そして校歌の意味を充分理解した上で高らかに歌い上げ、本校の教育の原点に帰ろうじゃないかと在校生・教職員に伝えたいですね。「迷った時は原点に帰れ」と私はいつも思っていますが、これから5年後10年後、日本の教育はもちろん高校教育の内容も大学との接続教育、入試も含めて大きく変わろうとしています。そんな大きなうねりの中で、迷子になったら原点に帰ろう、迷ったら創立者の時代に帰ろうと、それが大切だと考えています。

【日髙】 校訓と建学の精神の言葉は「誠実・努力」と非常に短く、専修大学の「社会に対する報恩奉仕」も、深く考えずに古い言葉だと思う人もいるかと思います。でも、生きていく節目節目で何かにぶつかった時に、これらの言葉がどこかに残っているだけで、それが羅針盤になるんです。
 専修大学は今年で創立140年になりますが、幕末の動乱を乗り越えてアメリカのコロンビア・ラトガース・イェール・ハーバードに留学した人達が8年後日本に帰り、それまでの道徳観や価値観を一変させて近代国家になろうとする時に、どうやって国を引っ張っていく人材を育てていくかを考え、日本の道徳観・価値観の中から良いものと悪いものを取捨選択し、その時に残ったのが「社会に対する報恩奉仕」でした。そして自分達が8年間学んだ恩を社会に返し、日本を近代国家にするための原動力となる人材を育てようと、全財産を費やして学校を作りました。それはやはり苦難を乗り越えてできている言葉です。附属高校の「誠実・努力」も、どのような人材を育てるかという価値観が原点になっており、校長先生が仰った「迷った時は原点に帰れ」という言葉に繋がります。確かに古いかもしれませんが、今後日本の社会が発展していく、あるいは生徒が社会に出て頑張っていく際の羅針盤となる言葉は、それだけ研ぎ澄まされてシンプルになった言葉であると知ってもらわねばなりません。歴史というものを教えられたときに、なぜそういう経路を辿ってここまできたのか、我々はどのような想いで教育を始め、なぜ教育を未来に引き継がねばならないのか、その答えは原点に戻るしかなく、これ以外に私学の拠る所はないと思っています。創立100周年の節目には、全員その価値観を共有できるような仕掛けが必要だと思います。
 学校や大学と同様に、建学の精神も校訓も持続すべきものです。ただ、時代によってヴィジョンは変わっても良い。むしろ変化すべきで、社会の変化とともに大学や高校も変わるべきですから。ただ、捨ててはいけないものが原点なんです。

【根本】 「不易と流行」と言いますが、やはり不易の部分が私学には特にあります。くしくも本校の創立月と同じ月に元号が新たに変わります。新天皇の即位とともに、本校は90周年を迎えるわけです。また来年には東京オリンピックが開催され、そして同年専修大学の神田キャンパスに新校舎と新学部ができます。正に100周年に向けてリスタートし始めたと言っても過言ではありません。やはり今こそ専修大学も140年前の創立者達の息吹を改めて学び直さなければいけないと思います。

社会で活躍する「専修人」の育成

【日髙】 現に生徒は素晴らしい人材がたくさん育っています。例えば今年度、附属高校から大学に進学した生徒の一人は大学3年で公認会計士試験に合格しました。その他にも法曹界、検事も弁護士も判事もいます。理念の他に実際の結果が目に見えてきていて嬉しい話です。学外で賞をいただく生徒も増えました。生徒たちの顔を見ると、本当にいい表情をしているんですよ。

【根本】 加えて本校の生徒は、高校在学中に立派な専修人に成長していっていると校長として実感しています。大学のご理解で、本校の生徒は大学の授業も聴講することができるのですが、その単位も大学の卒業単位として前もって取らせていただけるという制度もあります。高校に居ながらにして大学を味わえる、知ることができる、これは付属校である本校の特権だと思っています。専修人の入口に立ってくれているということで、高校、そして大学を卒業した後は立派な専修人として社会で活躍してくれると信じています。

【日髙】 附属高校から専修大学を経て公務員試験に合格した学生に話を聞きましたが、高校入学の際から「高大連携→公務員」の道を決めていたそうです。単位を取るための勉強ではなく、将来を見据えて自分のための勉強ができる、そういうところが附属高校ならではですね。

【根本】 大学のご協力あってのことですが、近年は専修大学に進学する本校の生徒が希望する学部・学科にできるだけ入れるようなシステムを確立してくださいました。

【日髙】 試験のための勉強ができるのはあたりまえで、それにプラス、試験で評価されない自分のための勉強をしているかどうかが、附属高校から大学に入学する生徒の一番のポイントです。

【根本】 「楽しくなければ学校じゃない、楽しいだけでも学校じゃない」私は入学式の時にこう宣言しています。実は今年の卒業式は、ほとんど涙がなく、壇上に上がる子がニコニコしているという、今まで経験した事のないような明るい卒業式で、これが本校の生徒の地の姿なんだなと実感しました。また、私は朝正門前に立って挨拶しているのですが、挨拶を自然とできる生徒が多く、その時に挨拶だけではなくニコっと笑ってくれるんです。礼儀正しいだけではなく笑顔を添えてくれるのが本校を象徴していると思います。朝、家を出る時に暗い顔をしていると学校で何かあったかなと思うでしょうが、ニコニコして明るく「行ってきます!」と家を出てくれれば親御さんも安心ですよね。そして「楽しくない時には、なぜ楽しくないかを考えなさい」、「楽しくない状況を楽しくするためにはどうしたら良いか、自分自身がどう変われば楽しくなれるかということを考えなさい」と生徒にメッセージを送っています。
 また教職員の働き方改革にも取り組まなければと思います。やはり先生方が疲弊していると良い教育はできないですからね。
 最近は生徒・保護者からのニーズは千差万別です。それに応えるために、私は「一分の一の教育」と言っていますが一対一の教育をする必要があります。100周年に向けて、一人ひとりの生徒そして保護者のニーズに応えていけるような学校、これを目指していかなければいけないと思っています。

記念式典(生徒向け式典)

(写真をクリックすると拡大表示されます。)

 

記念式典(来賓向け式典)

記念式典(祝賀会)

創立90周年記念リーフレット

90年の歩みを、PDFでもご覧いただけます。
右の表紙をクリックすると、中身をご覧いただけます。


PDFファイルをご覧になるためにはAdobe Readerが必要となります。